東京高等裁判所 昭和30年(う)2432号 判決
被告人 秋葉幸一
〔抄 録〕
事実誤認の論旨について。
原判決の挙示した証拠を綜合すると、被告人は原判示の如く飲酒酩酊の上、肺壊疽のため全身衰弱していた江崎義の顏面及び頭部を平手で殴打し又は足蹴する等の暴行を加え、その結果同人に脳震盪を起さしめ因つて遂に同人を死亡するに至らしめた事実を認めることができる。論旨は被害者は当時肺壊疽を患い死に瀕していて、四、五日後には死の転帰を見るものとされていたのであるから、被告人が暴行を加えなくても死の結果を来したことは明らかであつて、被告人の暴行は江崎義の死亡に対し原因を与えたものではない。即ち通常単に平手で人の頭部をたたくという程度で死の転帰を見ることは社会通念に照し到底是認し難いところであるから、被告人の加えた暴行は江崎の死亡に対し相当因果関係がないと主張する。なる程証人小沢正は江崎義の病状は相当重く、四、五日後には死の転帰を見るものと考えられたと述べているが、しかし鑑定人黒須周作の鑑定書によると、江崎義の死因は肺壞疽で全身的に生活機能衰弱している上、頭部殴打により脳震盪を起し意識不明のまま心臟呼吸の停止を起せるものと推定せられるというのであるから、少くとも被告人の暴行による脳震盪は江崎の死を早めたもので、同人の死に対し一原因を与えたものというべきである。而して傷害致死罪において致死の原因たる傷害は、死亡の原因をなしたものであれば足り、それが死亡の唯一の原因又は直接の原因であつたことを必要とするものではないから、江崎の肺壞疽による病気と相俟つて死亡したものとしても、被告人の暴行による脳震盪が江崎の死亡に対し原因を与えたことを否定し得ないのである。尤も江崎が通常人の健康体であつたとすれば、被告人の加えた程度の暴行によつては死の転帰を見ることは稀であろうが絶無とはいえない訳であり、ことに江崎は所論の如き病弱者であつたのであるから、これに対し原判示の如き暴行を加えれば死の転帰を見るに至るべきことは実験法則上明らかである。故に被告人の暴行と江崎の死との間には法律上相当因果関係があると認めるべきである。次に論旨は被告人は本件犯行当時飲酒により病的酩酊の症状を呈し、いわゆる心神喪失の状態に在つたものであると主張する。しかし記録によれば被告人は本件犯行当時飲酒により酒精の異常反応を呈し、急激に感情の刺戟性亢進を来し、軽度の精神機能障害を起していたことが認められるが、所論の如く病的酩酊の症状を呈し、是非を弁別し又はこれに従つて行動することの全く不能な状態に在つたとは認められない。従つて原判決が当時の被告人の精神状態を心神耗弱の状態に在つたものと認定したのは相当であつて、それ以上更に進んで心神喪失に在つたものとは認められない。要するに原判決挙示の各証拠を綜合すると、原判示事実は総てこれを認めることができ、記録を精査し、当審における事実取調の結果に徴しても、原判決に所論のような事実誤認の過誤があるとは認められないから、論旨はいずれも理由がない。
註 本件は量刑不当にて破棄